うつでも敏感な気質でも不登校でも何でもですが、
その環境が一つでも違えば・・・という、人は無数の組み合わせでできています。
それゆえ、根本の原因を紐解くことが非常に難しい場合があります。
ですが、根本の原因を探るというのは、当てのない理由探しではなく、今をより良いものに変えるための手がかりを見つける、という意味のような気がします。
先ほどもいった無数の組み合わせは、一つ変わったところで、何も変化がないように思えますが、一つを変え続けることで、良い意味で未来には必ずほころびのようなものが生じます。そしてそれが手がかりとなり、少しずつではありますが、後の大きな変化へと変わっていくと信じています。
渦中にいる本人は気が付かないかもしれません。でも、しばらくして振り返ったとき、今までのマイナスの思考で想像していた自分とは、ずいぶんと違うものになっていると、改めて気づくのではないでしょうか。
とはいえ、これらを一人で行うのはとても心細いと思います。
人間はもともと危険を察知し回避しながら生き延びてきた生き物です。今がつらい状況であっても、なれてしまっている分、新しく変化することにリスクを感じてしまうからです。
私は決して楽ばかりの人生など送ってはいませんし、不器用ながらに戸惑い、傷つき、回復することで今に至ります。ただ、幸いなことに、どんな時も、自分がもう駄目かもしれないと思うと、必ず誰かが手を差し伸べてくれていたという事でしょうか。それは神様からのご加護であったかもしれませんし、たまたまの組み合わせで、とても良い方々に巡り合ったのかもしれません。
若いころ、「誰かを助ける仕事がしたい」と看護師になったはずですが、自分の事でこんなにも助けてもらって申し訳ないと思うこともありました。しかし、こういった経験を重ねるたび、自分から助けを求めることにどれほどの勇気が必要で、どれほど申し訳ない思いになるかという、助けられる側の痛みもさらに強く感じるようになりました。また、だからこそ、自分から助けを求められない時にそっと、手を差し伸べてくれた人々が、人に対しどれほどの愛情を持ち、守りながら上手に助けてくれたのかというスキルや人間力の高さを今更ながら実感しています。
そういったことができるには、それ相応の経験やスキル、気質のようなセンスが必要かもしれません。ですが私も、誰かのそういう人になれたらいいな、と思っています。